吃音を軽くしてくことの動画解説
吃音(どもり)についての理解と改善に向けての動画解説です。
- 吃音(どもり)とは
- 一般に「滑舌が悪い」と言うことがありますが、これとは違います。
吃音とは・・・- ことばのつまり、引っかかりを繰り返したために、その感覚が残り、無意識に吃音を出してしまう。
- 引っかかりを繰り返しているのでコントロールしにくくなる。
- 言えない場面を経験することで、不安感、こだわりが生じる。
- 吃音意識、発語予期不安が深まる。
- 吃音意識の表れについて
- 言いやすい言葉、言いにくい言葉があるので、意識的にその言葉を言うのを避けたり、他の言葉に言い換えることが多くなります。
- 言い換えをしていると、固有名詞など言い換えの出来ないことばを言う場面などでは、発語不安が強く出てきます。
- 「ありがとうございます」などのきまったフレーズが、場面によって言いにくくなってきます。
- 今は言えるけれど、あの場面では詰まるだろうと憶測します。
- 吃音を理解するためには、話し手の内面の意識を客観的に理解することが大切です。
- 吃音意識の構図
- 「言おうとする意識」と「自分の言い方をチェックする意識」が共存しています。幼児期は「ぼ、ぼ、ぼく」など、連発の吃音です。小学生上級ぐらいになると自意識が芽生えてくるので、出だしのことばが出にくくなる難発となります。
- 吃音状態とは、言おうとする意志(アクセル)、止める力(ブレーキ)を同時に踏み込んでいる状態のことです。
- 吃音改善の三ヶ条
- 吃音(どもり)改善に向けての3つの大切なこと。
第一条「吃音意識を否定しないこと」
吃音意識は自然な感情。これを意識的に取り除こうとすると、逆効果。感情を否定せず、そのまま受け止めていくことです。
第二条 「どうしたら吃音がでなくなるかという方法・技巧のみにとらわれないこと」
腹式呼吸さえしていれば・・・このやり方をしていれば・・・など、個々の方法はそれなりに効果があっても、それだけにしがみついているといずれ効果が薄れてしまうものです。
第三条 「安定した発語感覚を育てていくこと」
「どうしたらどもらなくなるか」を追求するより、「安定した話し方フォームをどのように育んでいくか」に意識を向けることをお勧めします。
動画のテキスト
こんにちは。さわやかカウンセリングの江田(えだ)です。さわやかカウンセリングは2002年4月にホームページを開設いたしまして、通算1000名以上の方々と電話でのスピーチレッスンをさせていただいております。
さまざまな方々と吃音の相談を受け、話し方のレッスンをさせていただいております。その経験をとおして受講生の皆様から学ばせていただいたことを皆さんと共有し、吃音についての理解を深め、改善の方向性、具体的な対策を見いだしていただければと思います。
吃音といっても、その話し方は個人により様々です。ここで述べる事柄がこの動画をご覧になっているあなた様にぴったり当てはまらないかもしれませんが、何か共通点は見いだせるかと思います。
吃音(どもり)とは
ことばが常習的にひっかかる、言おうとしてもことばが出てこないことなど、一般に吃音(どもり)と言われています。
ただ、話し方が不明瞭であったり、舌が絡まるような話し方をしていることを「滑舌が悪い」という表現を使いますが、これはここで扱う吃音とは異なります。
表面上、ことばが多少ひっかかっていても吃音意識がない限り心の領域にまで発展していませんので、ここで扱う吃音とは区別されます。
これは、幼児期のことばの発達段階での吃音にも言えることで、どもるからということで必ずしも吃音意識があるいうことではありません。
幼児期にみられますのが「仮性の吃音」で、これは吃音意識が根付いてない状態です。幼児期は自意識が浅いので自分の言い方をチェックする意識は弱く、表面上ことばがひっかかっていても本人はさして気にしていないという状態です。幼児期にどもっていても、年齢ととにだんだん吃音は消えていくものです。
けれどひっかかり感覚がそのまま残り、小学生高学年ぐらいになって、自意識が発達し、どもってはいけないと思う、上手く言わなければと意識していますと、吃音意識が根付き、「真性の吃音」に移行し、心の領域に及んでくるということになります。
吃音意識とは
吃音を理解するためには、心の領域、「吃音意識」ということを知る必要がありますので、もう少し踏み込んで説明いたします。
ことばが詰まる感覚をまとめて「吃音意識」と言っておりますが、吃音の出かたは人によってさまざま、まさに千差万別です。
会話をして、明らかにことばがひっかかるので「吃音をお持ちだな」とわかる話し方をなさる方がおられる一方、とても滑らかに話す方もおられます。けれど、本人としては言いにくいことばをほかの言いやすい言葉に言い換て話していることがあるもので、その方は吃音意識をお持ちだと言えます。言いやすいことば、言いにくいことばを話す前からちゃんとより分けている心の動きです。
日常、言い換えとしていますと、言い変えのできない場面、たとえば名前、挨拶、固有名詞などを正確に言わなければならない時は発語不安が出るものです。
スピーチでも3分間、自由に話してくださいと言われれば、自分の都合の良い言葉に言い換えられるので精神的に比較的楽で支障なく話すことができるものです。けれど、自己紹介、他者紹介などで名前、経歴など正確に話さなければならない場面では言いにくいことばのところで止まったらどうしようと不安になり、緊張が高まります。
日常会話は全く問題ないのですが、電話応対での「ありがとうございます」「お世話になっております」などある特定の場面に限り、ことばが言いにくいというケースも多くみられます。
また、電話をかけるより、受ける方が言いにくいという方々が割合として多いです。それは、電話を心の準備なく鳴ったらすぐに受けなければならないこと、応対の決まりフレーズを周囲の人に聞かれているという意識、もしことばがつまったらどうしよう、変に思われ指摘されるのではという不安が助長されるからだと思います。
会話では全く普通ですので、これは当の本人しかわからない不安です。
吃音意識をお持ちの方で、極端に早口の方がおられます。これはことばが止まらないよう、勢いで話す、また、話している自分に人の関心が向けられないよう、早く話を終わらせようという無意識の動きが働いて早口の習慣が身についてしまったように思います。
吃音を理解するためには、話し手の内面の意識がどのようになっているかを客観的に理解することが大切と思います。
吃音意識の構図これは吃音意識の構図です。
吃音意識をお持ちの方は、ご自分の心がこのような構図になっているかとをすでにお感じになっておられると思います。
自分の中に二つの意識あります。一つは、言おうとする意識、もう一つは自分の言い方をチェックする意識です。
幼少の頃に連発(たとてば、ぼ、ぼくは・・・そ、それはね・・・)が多いのは、このチェックする意識、いわゆる自意識が薄いからです。ですから自分の言い方がどう思われるかまでは考えません。ところが小学校上級生あたりになりますと、自分の話し方が周囲にどう思われているかという意識が芽生えてきますので、難発とってきます。
私が小学生の頃「江田」という名前が言えなくなってきたのがまさにこの構図です。名前を言わなければという意思はあるのですが、もう一つのチェックする意識が、「このことば言えるかな、」という発語の検閲官となっている状態です。これが大人の真性の吃音意識です。
先に申し上げましたように、言う前から、あのことばは言いやすい、これは言い難いというセンサーが働いて、ことばを選別するのは、このチェックする意識の領域の動きとも言えます。
「どもらないように上手く話さなければ」「また言いにくい、引っかかった」「これじゃダメだ、上手く話さなければ」と思えば思うほど、このチェック意識は大きくなりますので、ますますことばの引っかかり感覚が増幅されてしまいます。
人前だと朗読は詰まるけれど、自分ひとりの部屋では問題なく朗読ができるというのが殆どですが、自分ひとりだけの朗読でもことばが詰まる、あるいは出てこないというケースもあります。
これは常日頃、言おうとする意識と「ほら、言えるかな」というチェックする意識がいつも働いてますので、ことばを変えれば、アクセルとブレーキを両方踏み込んだ状態のままでいるので、ひとりだけの朗読でも作動して、自分の中で試験官をたてて、あたかも試験官の前で朗読しているという意識になるからだと思います。
それと、長年の歪められた発語意識のため、自然な発語感覚がなくなり、力みを入れる発語しか体が覚えていない、あるいは力みを入れないともの足りない、ということが重なっていることかと思います。
このような独りでもことばが詰まるというのは、少数であり、多くの方々は、自分の内面でひっかかる感覚を引きずっていて、それが電話応対など、予め決められた表現が要求される場面で意識が浮上するという程度で、外部の人々がら見れば、話し方の問題があるとは全く感じられないことが多いです。
「緊張するからどもるのだ」とお考えになる方がおられますが、吃音の本質を突いていないと思います。吃音をお持ちの方は緊張していないとき、たとえば家族とか親しい友人とかと話すときも、言いづらさを感じながら話しているものです。
吃音改善の三ヶ条
吃音意識をお持ちの方が、安定した発語感覚を育んでいくことの、三ヶ条をご紹介します。これは電話でのレッスンをさせていただく際、受講生に申し上げていることでもあります。
■第一条は「吃音意識を否定しない」ことです。吃音意識は、単に滑舌が悪いということとは違い、言いにくい音(ことば)の発語予期不安などを持っていることを意味します。今は言えるけど、あの場面では言えないかも・・・など、事前に言えるか、言えないかを探るセンサーが働きます。私はこの吃音意識を、小学生の10歳頃からずっと持ち続けていました。
「吃音を直したいのですが・・・」というお問い合わせをいただくことがありますが、「吃音が直る」ということをどのように捉えておられるかを伺いますと、霧が晴れるがごとく吃音意識がきれいになくなることを描いておられる方がおられます。しかしこれは非現実的なことです。吃音意識は体が学習した感覚ですので、いきなり人為的に取り除こうとすると、更に意識を深めるだけです。
不眠で悩んでおられる方が、今晩はしっかり寝るぞ、寝るんだ・・・と思えば思うほど、頭が冴えることと同じです。
吃音意識を否定しないということは、吃音意識に付随するあらゆる感情を否定せず、そのまま受け止めていく姿勢です。
会社で電話が鳴るとき、ドキドキする自分を否定せず、「ああ、ドキドキしているな」とそのまま受け止めていくことです。
■第二条は、どうしたらどもらないかという「方法のみにとらわれないこと」です。「どう言えばどもらないか」は、吃音意識を持つ方にとって絶えず心にある思いです。しかし現実は、どもらないように話さなければと思えば思う程、ちょっとした詰まりが、「あっ、またどもった、また詰まってしまった・・」と、詰まり感が心の中で増幅してしまうのです。
吃音ではなく、ただ単に早口でことばが絡まってしまう方には、「少しゆっくり、このように話すと良いですよ」などと、具体的な話し方をアドバイスすれば、実践するうちに改善に向かうことでしょう。
しかし、吃音意識がしっかり根付いている方にとって、どもらないように言おうとしても、体がすでに吃音感覚を学習しているのですから、抜け出すのは容易ではありません。
「どもらないように言うにはどう言えばよいか」だけに意識を向けていると神経質になってしまい、良い発語感覚が逆に阻害されてしまいます。意識を緩めなければならないのに、丁度ドライバーを時計回りに回して締め付けてしまうことになります。
ですから、「どうしたらどもらないか」というアプローチは横に置いていただきたいのです。
■第三条は「安定した発語感覚を育てていくこと」に心の焦点を合わせていくことです。私は小学4年生の時と、高校1年生の時の2回、それぞれ約1年間ほど東京都内の吃音矯正所に通いました。
矯正所では安心するので上手く言えるのですが、学校の授業で朗読を指名されると、横隔膜が上にせり上がって腹部、舌が硬直してしまってひとこともことばが出ないのです。
このギャップをいかに埋めていくかが、私にとっての最大の難問題であり、。私にとって単なる発声練習、発語練習の繰り返しでは、金縛りに近い吃音意識には対応できないという限界と絶望感を感じ取っていました。
しかし、留意すべき大切な領域があるのです。それは日常生活での発語習慣です。
当時の私の日常会話は、自分の発語感覚として決して安定した話し方ではなく、家族や友人との会話で言いにくい言葉を言い換えていましたし、よく詰まらせながら話していました。それでも日常の会話ですから、さしたる支障は感じませんでした。しかしこの発語感覚が定着している限り、吃音意識が強くはたらく場面ではコントロールできません。それが当時の私の状態でした。
吃音者は個人の程度の差こそあれ、共通して吃音意識がありますから、それ以上の安定した発語感覚を意識的に育てていく必要があります。具体的には、家族や友人など、身近な人との会話で安定度の高い発語感覚を意識的に使い続け、吃音が出にくい言い方を育てていくことです。
良い発語習慣を意識的に育てることは、上手く言えているかどうかという「探(さぐ)り」を入れる意識ではありません。話し方を探る、チェックする意識は自然な発語感覚を阻害してしまいます。少々つまってもOKとしつつ、極端な早口、ひっかかりを常習としない発語習慣です。
話す自信は、会社での電話応対、司会、スピーチなど、人を相手にして緊張する中でも正確に話せるという経験から生まれるものですので、吃音意識が浮上する中でヒヤヒヤ、ドキドキしながら話す体験を重ねることが大切だと思います。
安定した発語感覚、自然なことばの流れ感覚・・・これらはあくまで個人の内面の世界です。具体的にレッスンでぜひ体感していただきたいです。
いかがでしたでしょうか?
どんな緊張する場面でも、正確なことばで話せる自信。相手に聞きやすく、自分も話しやすい話し方。
さわやかカウンセリングのレッスンではこの安定した発語感覚をご自分で掴(つか)んでいただき、日々実践していく習慣作りのお手伝いをさせていただいています。
ありがとうございました。